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タモリの前にタモリなし2 タモリ地図in福岡

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タモリの前にタモリなしシリーズ2回目は地図です。 タモリの「笑っていいとも」が終わって1周間が経ち、タモロスの方も多いかもしれません。 そんな人のためにタモリが好きな地図にちなみ「タモリ地図in福岡」をGoogleMAPで作ってみました。 ブラタモリ福岡版、福岡のタモリゆかりの地がひと目で分かります。 より大きな地図で  タモリツアーin福岡  を表示 タモリファンの親戚とか友達が福岡に来たら利用してください。 ここがタモリが通っていた西高宮小学校。 そして、高宮中学。 森口博子、氷川きよし、高橋真梨子、博多華丸と芸能人、著名人が多数います。 タモリが中学生時代に通っていた平尾バプテスト教会。 日曜教室に通っていたらしい。 ここから、あの牧師のモノマネが誕生しました。 そして進学校で有名な筑紫丘高校。 タモリは一度東京の早稲田大学に入学しますが、卒業後地元福岡に戻り就職します。 タモリと言えばJazz好きで有名ですが、当時通っていたJazz喫茶の一つが中洲のリバーサイド。 ここは老舗のJazzの店で、ライブとかもやっています。 そしてここがタモリがよく通っていた、今はなき伝説のJazz喫茶「COMBO」の跡地です。地図を作る時に住所が分からずに何人かの地元の知り合いの方に場所を訊いてみました。 どうも情報ありがとうございました。 monjuの山口くんは、ここの店で働いていたことがあるとのこと、素晴らし! 残念ながら「COMBO」は2009年に閉店してしまいましたが、春吉の姉妹店「NEW COMBO」は今も健在。 タモリは一時期、日田市のボーリング場に勤めていたとのことですが、赤坂門にあったスターレーン赤坂にいたとの説があります。この辺り? そしてココがもっとも重要な伝説の場所「タカクラホテル福岡」。 1972年福岡で山下洋輔と渡辺貞夫のコンサートが行われ、その後この山下洋輔らがこのホテルの部屋で飲んでいると、たまたまこのホテルにいたタモリが部屋に入ってきてどんちゃん騒ぎになった。 山下洋輔のエッセイ「ピアノ弾き乱入元年」とかに詳しく書いてあります。 タモリのあまりの面白さに山下洋輔がタモリをJazz喫茶「COMBO」経由で探しだして、東...

タモリの前にタモリなし1 タモリ年表が面白い

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笑っていいともが終了となり、改めてタモリって何だったんだろうと思うこの頃。 これってタモロス? タモリってお笑い・芸能の歴史の中でどこにも属さない突然変異(ミュータント)のような人でした。(まだ引退していないけど・・) まさに、タモリの前にタモリなしタモリの後にもタモリなしと言う感じです。 今の人は温厚な「タモさん」しか知らないかもしれませんが、昔は相当に怪しい人でした。 これは、デビュー当時の「中洲産業大学」教授の頃のタモリ。 中洲は福岡の歓楽街のあの中洲のこと、もちろん中洲に大学はありません。 福岡出身のタモリが勝手に創りだした架空の大学。 これが非常に面白かった。 そんな中、タモリの軌跡を振り返るタモリ年表なる連載がWebで連載中です。 ほぼ書籍に近い内容で、70年代からの日本の芸能のサブカルチャーとテレビと言うメインカルチャーの歴史としても読める充実した内容。 タモリ年表#1 1945年(0歳)~1974年(29歳)   タモリ年表#2 1975年(30歳)~1980年(35歳) タモリ年表#3 1981年(36歳)~1985年(40歳) タモリ年表#4 1986年(41歳)~1997年(52歳) サブカルチャーの「タモリ」がメインカルチャーの「タモさん」になるまでの過程がかなり詳細に書かれています。 もう一人「タモリ」とは何だったのかを的確に語った人がいます。 それが、ビートたけし。 テレフォンショッキングの最終回のビードたけしのスピーチは、本当に危なくて面白かった。 まさに同じテレビの黄金時代を築いてきた、少し嫌いだけど同士でもあるタモリに対する愛情とリスペクトと鋭い批評が入り混じった傑作のスピーチ。 たけしのスピーチの抜粋 「かつてあなたはへ●●の呼び込み、おれおれ詐欺の出し子、パチンコ屋のサクラ、フィリピン人との偽造結婚を経て、芸能界に入り、イグアナの形態模写、四か国マージャン、意味不明なハナモゲラなどの卓越した芸で、一部のエセインテリ集団から熱狂的な支持を受け、あれよあれよという間に国民的人気番組の司会者まで上り詰めました。」 全文はここから これは鋭い指摘です。 たけしがエセインテリ集団と揶揄したのは、山下洋輔・筒井康隆・赤塚不二夫...