タモリの前にタモリなし1 タモリ年表が面白い
笑っていいともが終了となり、改めてタモリって何だったんだろうと思うこの頃。
これってタモロス?
タモリってお笑い・芸能の歴史の中でどこにも属さない突然変異(ミュータント)のような人でした。(まだ引退していないけど・・)
まさに、タモリの前にタモリなしタモリの後にもタモリなしと言う感じです。
今の人は温厚な「タモさん」しか知らないかもしれませんが、昔は相当に怪しい人でした。
これは、デビュー当時の「中洲産業大学」教授の頃のタモリ。中洲は福岡の歓楽街のあの中洲のこと、もちろん中洲に大学はありません。
福岡出身のタモリが勝手に創りだした架空の大学。
これが非常に面白かった。
そんな中、タモリの軌跡を振り返るタモリ年表なる連載がWebで連載中です。
ほぼ書籍に近い内容で、70年代からの日本の芸能のサブカルチャーとテレビと言うメインカルチャーの歴史としても読める充実した内容。タモリ年表#1 1945年(0歳)~1974年(29歳)
タモリ年表#2 1975年(30歳)~1980年(35歳)
タモリ年表#3 1981年(36歳)~1985年(40歳)
タモリ年表#4 1986年(41歳)~1997年(52歳)
サブカルチャーの「タモリ」がメインカルチャーの「タモさん」になるまでの過程がかなり詳細に書かれています。
もう一人「タモリ」とは何だったのかを的確に語った人がいます。
それが、ビートたけし。
テレフォンショッキングの最終回のビードたけしのスピーチは、本当に危なくて面白かった。
まさに同じテレビの黄金時代を築いてきた、少し嫌いだけど同士でもあるタモリに対する愛情とリスペクトと鋭い批評が入り混じった傑作のスピーチ。
たけしのスピーチの抜粋
「かつてあなたはへ●●の呼び込み、おれおれ詐欺の出し子、パチンコ屋のサクラ、フィリピン人との偽造結婚を経て、芸能界に入り、イグアナの形態模写、四か国マージャン、意味不明なハナモゲラなどの卓越した芸で、一部のエセインテリ集団から熱狂的な支持を受け、あれよあれよという間に国民的人気番組の司会者まで上り詰めました。」
全文はここから
これは鋭い指摘です。
たけしがエセインテリ集団と揶揄したのは、山下洋輔・筒井康隆・赤塚不二夫等の文化人たち、この人達が無理やりタモリを芸人にしてしまった。
ビートたけしとは全く違う笑い、キーワードはJazzセッションのノリ。
タモリが福岡出身というのもキーワード。
やはりタモリが気になる、このシリーズしばらく続きます。
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